Tribute to STANLEY KUBRICK
1928
1999

 

 

“敬愛するスタンリー・キューブリックにこのサイトを奉ぐ”

yasuhiko Hatakeyama(japan)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「博士の異常な愛情」撮影風景

  

 "The screen is a magic medium. It has such power that it can retain interest as it onveys

emotions and  moods that no other art form can hope to tackle." 

Stanley Kubrick, 1970

 

 

スタンリー・キューブリックへの賛辞


これは、私が最も敬愛する映画監督で、私を映画の虜へ導いてくれた巨匠、故スタンリー・キューブリックに関する私的なウェッブページである。

 

1999年3月7日、20世紀の巨匠キューブリックが他界した。インターネット閲覧中飛び込んできたのが、「速報!キューブッリック監督が死去」という文字だった。突然の訃報に僕の頭は真っ白になり、その日は、まったく仕事が手につかなくなってしまったのを覚えている。不思議なことに、身内でもなく、もちろん1度も会ったことのない人でありながら、これほどショックを受けるという体験は今まで経験ではなかったことだ。

 

このことは、それほどにもキューブリックの作品がいかに映画の魅惑を僕におしえてくれたか、映画好きになる原点、いや心の奥の源流となっていたことの証明にほかならない。そこで、死の衝撃からようやく立ち直り、自分の心に湧き起こった思いを、誰ともなく伝えたくなり、このキューブリックサイトを書き留めることにした。

 

僕はいつも待たされ続けた。次回作はどんな作品だろうか。いつ完成するのだろうか。その期待感が映画への思いを常に持続させてくれた。そして、2001年を待たずに、スターゲイトの向こうへ去っていったキューブリックだが、彼が残した輝かしい作品群は、スターチャイルドとして再び生まれ変わり、私たち映画ファンを幾度となく魅了してくれるに違いない。 

 

                                        2000  Yasuhiko Hatakeyama

 


Chapter1

人物論

 

キューブリックは1928年にニューヨークで生まれている。彼は祖父のハンガリー系ユダヤ人の血を引いており、父は開業医であった。特に学力優秀ではなかったようだが、特にジャズ、ドラム、チェスに興味があった。彼の父は医者になるようにメディカルスクールに入れようとしたが、本人は学力不振のためそれは実現しなかった。

テキスト ボックス:   しかし、IQは高かったらしく、興味のあるものには人並み以上の才能があったようだ。この時の<落ちこぼれ体験>が、のちに<生涯の学ぶ生徒>にした。やがて父からもらったカメラに夢中になり、高校の先生のすすめもあって、さまざまな写真を撮っているうちに自分の将来を決定づける出来事が起こることになる。 高校生の時に撮ったルーズベルト大統領の死を扱った写真が「ルック」誌に買い取られ、当時にその才能はすでに開花していたのだった。その後に自分の進むべき道を感じとった彼は「ルック」社へ就職し、写真の腕をここで磨くことになる。やがて彼は写真から映画に興味を持つようになり、ルック社を退社して映画監督を目指すようになる。この頃からコロンビア大学の夜間部に入学して演劇や映画の基礎を学んでいる。当時、実験的に何本かのドキュメンタリー作品を撮っているが、まったく映画技術には素人であった彼は、毎日のようにニューヨーク近代美術センターに通い、フィルムアーカイブで映画を観まくったとのちに述べている。キューブリックはのちのインタビューでこう応えている。「当時は、あらゆる映画を観た。その中には良質な映画もあったが、そうでない映画がほとんどであった。しかし、その映画のお陰で私は大いに希望をもつことができた。これ以上の映画を私にはつくれるという自信を与えてくれたからだ。」

  しかし、才能はあっても金のないキューブリックは、父や親戚からお金を借りて映画をつくることが精一杯で、「恐れと欲望」「非常の罠」の2本を撮っている。つまり、映画技術を独学で習得し、いきなり映画監督になってしまったという特異なデビューであった。しかし、映画で生活できるほどではなくときおり路上での「賭けチェス」で儲けて生活をしていた時期もあったという。この頃に高校の同級生だったトーバ・メッツと結婚をしている。キューブリックは生涯に3度結婚をしているが、2度目はルース・テキスト ボックス:  ソボトカと、そして3度目は女優であり画家となったドイツ人の女優スザンヌ・クリスチャンと結婚。彼女には前夫との間に長女カタリーナがいたため、次女アンヤ、三女ヴィヴィアンの3人の娘をキューブリックは育てた。三女ヴィヴィアンは後に「2001年宇宙の旅」でかわいらしい女の子としてテレビ電話で会話するシーンに出演している。そして運命的な出会いといえる、ある人物が現れる。名前はジェームズ・B・ハリス。当時はすでに映画プロデューサーとして仕事をしていた彼は、キューブリックの才能を見出し、1956年に「現金に体を張れ」を製作することになる。彼等は映画製作という情熱に燃えた若者であり、ハリス・キューブリックプロを設立し、その後「ロリータ」まで一緒に仕事をしている。ハリスは「ロリータ」撮影後に監督志望であることをキューブリックに相談したところ、快く承諾しこれからの活躍を応援したいことを伝えた。これによって、お互いの良きパートナーだったふたりはコンビを解消し、それぞれ別々の道を歩みだした。キューブリックは、この3本の映画により、ほんの少しの名声とお金を手にした。しかし、そういったことよりも、彼にとっての収穫は、これからの映画づくりによって技術や方法という基礎をしっかりと自分のものにしたことである。

「ロリータ」は検閲を回避するため、英国ですべて撮影することにし、それ以後キューブリックは何度か渡米しているが、すべて客船を利用している。「現金に体を張れ」は低予算にもかかわらず、ユナイトが配給してそこそこの収益を上げた。続いて、「突撃」をフランスで撮影しようとしたが、その内容のため協力が得られないことを知り、ドイツで撮影されることになった。出資金を集める際に、スター俳優を使用することが条件でユナイトが出資することになった。特に、カーク・ダグラスのブライナ・プロが製作に乗り気で、ようやく資金面での目途がついた。まず、ドイツに乗り込んだキューブリックたちは、ロケ地を探してまわり、続いて、エキストラを調達するためドイツの警官隊に要請した。警察では、この要請に心良く承諾し、まるで軍隊のように見えるような規律正しい連中で、撮影も順調に進んだと、のちにキテキスト ボックス:            ューブリックは述懐している。カーク・ダグラスの大物にもたじろぐことなく、平然と演出をするキューブリックに、ダグラス本人も才能のある若造だとその仕事ぶりには感心したそうだ。

 「突撃」は公開され多くの批評家から有能な新人が出現したと注目されるようになった。続いて、次回作を検討しているところへ、カーク・ダグラスから連絡が入り、現在スペインで新作「スパルタカス」を撮っているが、監督のアンソニー・マンをクビにしたので、そのあとを引き受けてくれないかという要請がキューブリックに飛び込んできた。それに対しすぐに快諾したキューブリックはすぐさまスペイン入りし、平然と演出をはじめた。ところが、この映画は赤狩りで有名になったダルトン・トランボとカーク・ダグラスのふたりが牛耳っており、キューブリックが脚本の変更を申し入れてもまったく聞こうとしなかった。キューブリックは演出方法やスタッフからも孤立したが、豊富な資金で、かつローレンス・オリビエやピーター・ユスチノフなどの大スターを演出できる機会は滅多にないと考え、雇われ監督に徹することにした。しかしながら、後年、自分の作品とは認めていないと発言しているが、演出のところどころにキューブリックの斬新な映像を発見できることも確かである。孤立した中で、最も理解してくれたのはテキスト ボックス:  シーンアドバイザーとして参加していたソール・バスひとりだけだった。ソール・バスはキューブリックの才能を認め、その後も親交は続き、「シャイニング」ではポスターデザインで一緒に仕事をしている。

  このハリウッド大作で、そのシステムには辟易しながらも着実にキャリアを積んだ経験は決して無駄ではなかった。続いて、ハリスと組んで製作に取り掛かったのが、ナブコフ原作の「ロリータ」だった。そして、いよいよ「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」というSF3部作を立て続けに発表した。キューブリックはその間に、ナポレオンの映画化を企画していたが、資金調達ができず断念していた。しかし、現実にはロケーション探しや、ナポレオンに関するあらゆる文献を読み、今やナポレオンの本を書けるほど、その人物について熱心に研究をしつくしていた。主演俳優にはJ・ニコルソンしかいないと本人に打診したこともあった。

  次回作として、歴史を忠実に再現したい夢を実現するため、キューブリックは「バリー・リンドン」を発表する。この映画撮影中は、家族全員を引き連れてロケ地を回っている。本人はロケを極力少なくして、全編ロケを嫌がったようだが、スタジオ撮影では不可能な内容のため、渋々アイルランドやドイツへ出掛けていった。しかし予想を反してこの映画は長編であるがゆえに興行的に失敗した。キューブリックにはもう、失敗は許されなかった。そして、次回作「シャイニング」では、その名誉を余りあるほど挽回している。その公開から7年間キューブリックは沈黙してしまう。興味が湧くような原作に出会うことがなく、毎日のように読書に耽っていた。そして、ベトナム戦争を題材にしたグスタフ・ハスフォードの「ザ・ショートタイマーズ」を発見し、ようやく、次回作は「フルメタル・ジャケット」に決定する。この映画の公開後に多くのベトナムものが製作されたが、アカデミー賞では「プラトーン」が作品賞を授賞している。

  そして、キューブリックは12年間もまた沈黙してしまう。そして、この頃企画していたのが「A.I」であったキューブリックは財テクにも関心があったようで、「2001年宇宙の旅」公開後に、MGMの株を所有し、その配当で蓄財をしたらしい。その財産をテキスト ボックス:             運用し、得た利益でイギリスの郊外にある大邸宅を購入している。その邸宅は訪問者の証言によると、車で走りながら門から屋敷まではいくつものセキュリティゲートをくぐらなければならなかったそうだ。その屋敷と邸宅は、もともとメイプル家具の創始者が所有していたもので、数え切れない部屋があったそうだ。特に、元々はビリヤード室と思われる部屋へと案内された訪問者は、その部屋に床に無造作に置かれているコンピューターや最新の機械を見て、キューブリックが発売された電器製品はすぐに手に入れていた様子が容易に想像がついたと証言している。

  その訪問者の中でも、特に興味深いのが、デジタル技術について意見を聞きたいため、キューブリックが招待した人物、それがデニス・ミューレンだった。この人は、「ターミネーター2」で液体金属というものを、コンピューターを導入した特撮技術で、我々にはじめて見る驚くような映像を創り出したILMの重鎮である。またスピルバーグの「ジュラシック・パーク」では、恐竜をデジタルで再現してみせた、いわば最先端の技術を知り尽くしている人だ。キューブリックに呼ばれたという緊張で、対面した時は非常にアンバランスな状態だったと本人が感想を述べている。キューブリックが矢次早に質問をするため、それに答えるのが精一杯で、自分が聞きたいことはほとんど聞ける状況ではなく、今思えば、あのキューブリックにもっと教えてほしいことがたくさんあったとのに残念だったと言っている。 また、あらゆる世界の情報を入手するために、さまざまな器材を整備し、わからないことがあれば、夜中でも何でも電話を架けまくり、8時間以上電話で話すことはざらだったらしい。

 

 


Chapter2  Filmography
作品

 

『恐怖と欲望』 1953Fear and Desire

残念ながら、この作品はキューブリックの意向により封印されたままである。

 

『非情の罠』 (1955Kille's Kiss)
 この作品は、キューブリックにとって初めてのオールロケ撮影作品で陰影のあるシーンが印象的だ。

 

『現金に体を張れ』1956The Killing

この作品は、キューブリックのメジャーデビューと言っていい映画である。原作はライオネル・ホワイト「逃走と死と」である。 僕にとっては、永く幻の作品となっていたが、5年前ぐらいだろうか、初めて観たのが「WOWOW」での放送だった。まず、脚本が非常に優れていて、一級の娯楽作品として見応えのあるところに惹かれた。同じ目的に辿りつくまでの、それぞれの登場人物がどのような行動をしたのか、時間を後戻りさせ同時進行していく表テキスト ボックス:  現手法は驚きに値する。この手法はのちにタランティーノが「レザボアドッグズ」で真似ていることはつとに有名だ。主役のスターリング・ヘイドンはアメリカ映画のタフガイを代表する、骨太な知能犯を演じているが、男からみてもこの役者には魅力を感じる。特に人を殺さずに競馬売上金を強奪しようとする計画は、実際の場でも十分通用しそうなリアリティがあった。B級の犯罪アクションものに思われがちだが、緻密な構成と中年俳優たちの個性が生かされており、一級の犯罪サスペンス映画と言ってよい。レース中の馬を射殺するために雇われたスナイパー役の俳優は、どこかニコラス・ケイジに風貌が似ていて好きになってしまった。ラストのあっと言わせる展開には、どことなく不条理さとともに爽快感と潔さがあって、印象深いものになっている。キューブリックとジェームズ・ハリスはこの映画でついにメジャー進出は実現することになる。

 

 

『突撃』1957Paths of Glory

 原作は、ハンフリー・コッブの反戦小説「栄光への小経」である。この本を少年時代にキューブリックは読んでいたらしい。主演はカーク・ダグラスで撮影はすべてドイツで行っている。この映画の内容は、フランス軍部の腐敗を痛烈に批判したものであるため、本国フランスでは未だに上映禁止となっている。主演には「スパルタカス」で一緒に仕事をすることになるカーク・ダグラスで、当時にビッグスターを起用することは、映画会社から資本を引き出すうえで、さすがのキューブリックも承諾せざるを得なかったと推測できる。1957年の製作当時、キューブリックはこの作品を本当のメジャーへの挑戦と考えていたに違いない。長年この作品を観たいと思っていたが、ビデオもリリースされておらず、念願がかなったのはつい最近のことである。まず、驚かされたのは移動撮影の見事さである。爆音や銃音が鳴り響く塹壕をカーク・ダグラスが歩くシーンで、手ブレのない流麗なカメラワークはキューブリックの真骨頂だ。「時計じかけのオレンジ」で撮影監督だったジョン・オルコットはこう述べている「彼のように手持ちカメラを揺らさずに撮影できる人をいままで会ったことがない。」まるで、「突撃」の移動撮影はまるでステディカムで撮ったようなほど安定感がある。

また不条理な軍隊の性質を鋭く浮かび上がらせ、処刑の場面ではそのやるせない感情が爆発しそうになる。キューブリックが最も造詣が深いのは軍隊という組織であり、人間の愚かさが極端に現われやすい存在なのかもしれない。 なお、この映画のラストに登場する酒場の踊り子は、キューブリックが死ぬまで添い遂げた、3度目の妻スザンヌ・クリスチャンである。

 

『スパルタカス』1960Spartacus

テキスト ボックス:  「ジョニーは戦場へ行った」の脚本家ダルトン・トランボと当時の大スターカーク・ダグラスの映画といっていいほど、キューブリックが辛酸を舐めた作品である。歴史ドラマとしてオーソドックスなつくりは否定できないが、場面場面では、いかにもキューブリックらしい演出を見出すことができる。 当初予定した監督アンソニー・マンがカーク・ダグラスと衝突したため即刻クビになり、代役を探していたところ「突撃」で一緒に仕事をしたキューブリックをカークが指名し、引き継いで監督をしたというのが真相である。若干31歳のキューブリックはこの映画を何とか自分の映画にしようと試みたが、ハリウッドのがんじがらめのシステムには勝てず、渋々演出したらしい。ことごとく演出に口出しするダグラスは、俺の映画だという意識が強く、結果的には興行で大成功を収めたのだが、理論的に練りに練った演出をするキューブリックを嫌い、お互いそれ以後は一切の関係を断ち切っている。キューブリックも、この作品は自分のフィルモグラフィーとして認めていない。

  のちにカーク・ダグラスは自伝の本でキューブリックをこう評している「あいつは、才能あるクソったれだ!」と。


『ロリータ』1962Lolita

旧ソ連からアメリカへ亡命した作家、ウラジミール・ナボコフが、アメリカのカウンターカルチャーを素直に感じた思いを込め

て執筆したのが小説「ロリータ」である。この原作を映画化する権利をキューブリックとハリスは早い時期から取得していた。「ロリータ」は、そのスキャンダラスな内容のため、検閲団体やカソリック団体からの抗議は必至であった。そのため、検閲には比較的緩やかで、製作費面でもハリウッドよりコストがかからないイギリスで撮影することにした。その後、キューブリックは英国を拠点として映画製作をすることになり、言わば、英国にいながらアメリカ映画をつくり続けた希有な人物として注目された。

 作品としては、少女に惑わされる中年男の姿が妙に滑稽に見えて、セクシャルな部分よりも、やや人間の愚かさがブラックユーモアたっぷりに描かれいる。特に過激な描写はなく暗示の部分も多いが、J・メイスンの映画というよりも、やはりキルティを演じるP・セラーズの映画のような見方もできる。この映画は、キューブリックにとって初の興行的にヒット作として、語り継がれることになる。


『博士の異常な愛情』

1964Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb
撮影しているうちに、核戦争の恐怖を描いた作品がシリアスにしようとすればするほど、逆にコメディに近い内容になってい

ったのに気づいたキューブリックは、最終的にブラックコメディとして完成させる判断を下した。当時は冷戦時代の真っ只中で、キューバ危機などはまさに現実の恐怖としてアメリカ国民を震撼させた出来事だった。

この映画がキューブリック最高傑作であるとの声も多いが、それは、ブラックコメディをこれほど芸術作品としてもレベルの高い映画に昇華させた結果に対しての賞賛だと言える。この映画に登場する人物はすべてどこか狂っているように描かれている。核兵器の命令を下す将軍は、「ソ連が飲料水に毒を入れた」と被害妄想にとりつかれる。戦闘機のパイロットは任務遂行のためにひたすら低空飛行を続ける。命令に対してまったく疑いももたずに。ストレンジラブ博士は放射能が低レベルになるまでは100年はかかるだろうが、男1人に女10人の割合で地下壕で生活することで、人類は生き延びることができるだろうと奇想天外な提案する。そして延々と繰り返されるキノコ雲のショットに「また会いましょう」の歌が重なるエンディング。これ以上の皮肉はないと言えるほど、ブラックユーモアの極致だ。  同じようなモチーフで同時期にシドニー・ルメットが「未知への飛行」を製作している。こちらのほうは、硬派な内容で原作に忠実につくられているのだが、キューブリックは脚本家のテリー・サザーンと共同執筆し、核の恐怖を描こうと思えば思うほど、どこかコミック的な内容になりがちになることに気が付き、思い切って「ブラックユーモア」で全編を通すことにしたのだった。「人間なんて本当に愚かな生き物さ」とでもいわんばかりのこの作品は、興行的に大ヒットを放ち一躍キューブリックは名声を得ることになる。


『2001年宇宙の旅』19682001: A Space Odyssey
 
映画の歴史に燦然と輝く金字塔が、この傑作である。どれだけこの作品が、それ以降の映画に対し、技術とイメージの影響を与えたかは言うに及ばずである。この映画を観た少年たちが、内容はよくわからずとも、圧倒的なリアリティに打ちのめされ、映画をつくりたいという夢を持たせたほど、作品のもつ強大なパワーは誰でも認めざるを得ないだろう。

そのキューブリックの申し子が、いわゆるハリウッドのヒットメーカーとして現在成功している、マーティン・スコセッシ、S・スピルバーグ、J・キャメロン、G・ルーカス、L・ベッソン、ヤン・デ・ボン、J・マクティアナンたちである。この映画は、難解であったため批評家からは、敬遠されたが、一部の若者には熱狂的に指示された。

この映画のヒットにより、メジャー会社も出資をするようになり次回作としテキスト ボックス:  て、当時は一般的なSF作家だったアーサー・C・クラークの短編小説「前哨」をモチーフにした映画を製作すると発表した。 まず、クラーク本人にコンタクトを取り、共同で脚本を執筆することになった。それが名作「2001年宇宙の旅」である。製作資金はMGMが出資することになり、イギリスで撮影が開始された。 製作にあたっては、当時の最高のスタッフが集められ、技術の結晶によるSF最高傑作が誕生することになる。キューブリックは当初、カール・セーガンのナレーションを入れ、ところどころにボイスオーバーで説明をすることを考えていた。しかし、言葉やナレーションで説明するよりも、映像のみで観客のイメージに訴えることが効果的であると判断し、一切の説明部分を削除した。そして、音楽も映画音楽を作曲者に依頼していたものを、既製のクラシック音楽と呼吸音のみで通すことに決め、作曲家アレックス・ノースが裁判に訴える事件も起

きている。しかし、幾多の困難を乗り越え、ついにキューブリックはこの作品を仕上げ、MGMに巨額の収益を与えることになった。リアリティを追求することで、映像にはその労力を惜しまず注いだことは言うまでもない。特に、科学的に裏付けされたものを徹底的に追求し、それを未来の姿として描いてみせた。例を挙げれば、宇宙は真空なので、まったく音がしない静寂につつまれているため、当然宇宙船も無音なわけで、その後「スター・ウォーズ」などからは、リアリティよりもファンタジックやアクション部分に焦点をあてた映画が主流となった。船の爆音など、冒険活劇を重要とするサウンドが常識となったが、映像、サウンドにおいてデジタルの最盛期を迎えた現在に至っても、この作品を越えるほどの質の高い作品は、未だに現れてはいない。

キューブリックは、「アイズ・ワイド・シャット」の撮影後に、現在の最高のデジタル技術を使って、「スター・ウォーズ」を越えるような内容で、かつ社会的な映画としての質を落とさないSF映画を製作することに意欲を燃やしていた。それが未完のSF大作「A.I」になるはずだった。


『時計じかけのオレンジ』1971A Clockwork Orange
  この映画は、僕にとって映画の歴史上で、金字塔といえるくらい重要な映画だ。その過激すぎる内容は、暴力やセックスの場面が登場するため、一部批評家や観客からは毛嫌いされている傾向もあるが、それは「木をみて森を見ず」と同じことではないかと考えている。この映画の本質は、「体制主義による管理の脅威」にあることを読み取る必要がある。人間の本能というべき欲望を抑えるために、その人間を社会が人工的に洗脳し管理した場合、行き着くところはどうなるかという重要なテーマが隠されている。しかし、公開当時にイギリスの世論はキューブリックに厳しく、暴力を肯定する危険な人物と一方的に弾劾され、不穏な社会状況と相まみれてか、自宅には多くの脅迫文や進入者があとを立たず、イギリス警察からワーナーブラザースへ上映を断念するよう申し入れがあった。家族にも危険が及びかねない状況に憂慮したキューブリックは、イギリス本国での公開を自ら幽閉したのだった。

この映画は、1971年に製作されているが、近未来を描いた内容にもかかわらず、未だにその内容は色褪せていない。衣装、美術セット、音楽、セリフ、ポスターなど、すべてがポップアートとしての異彩を放っている。まず、「ミルクバー」にある裸婦のテーブルは、プロダクションデザイナーのジョン・バリーがヌードモデルにテーブルになる格好をしてみてくれと何度も試し、それをデザイン化しようとしたところ、そんなに多くのスタイルはみつからなかったそうだ。また、この作品の特徴は、ほとんどをロケ撮影しているという点である。当時、イギリス国内で撮影をするために、キューブリックとスタッフは、モダンアートの建築雑誌を丹念に調べ、未来社会を描くのにふさわしい場所を選んでいった。特に、老作家の屋敷は当時のモダン建築の最先端をいっているものだと容易に想像ができる。アレックスの住む集合住宅やキャットレディーの住む邸宅などもそうだ。

  アレックスの役には、「ifもしも」で反体制の学生を演じたM・マクダウェルが抜擢されたが、オープニングの「不適な笑み」だけで、まさしく適役であったことが納得できると思う。この映画のキャスティングによって、この俳優の人生は決定づけられた不幸な例ではあるが、これ以後もまともな役はほとんど演じていない。「カリギュラ」などはそのいい例であろう。

  低予算で短期間に撮影したこの作品は、長期撮影が常識になっているキューブリックにとってもそのフィルモグラフィーの中で特異な存在である。この映画では広角レンズを多様しており、左右がすこし歪む映像を敢えて効果的に使用している。

また、コマ落しやスローモーション、ズームからワイドへの多用、手持ちカメラによるぶれ、前進後退の移動撮影など、あらゆる手法が取り入れられている映画撮影の教科書にもなり得る映画だ。

『バリー・リンドン』1975Barry Lyndon

どうしても「ナポレオン」を撮りたかったキューブリックだが、資金面で目途が立たず、断念せざるを得なかった時期に、サッカレーの本を読んでいたキューブリックは、古典を撮ることに執念を燃やしていたことと重なり、ついに「バリー・リンドン」という「ナポレオン」を撮ることにした。 当時、キューブリックは、自分自身で本を1冊書けるほど、ナポレオンに関する膨大な文献や資料を熟読しており、その知識は、当時の生活様式を再現するのに大きな力となっている。この映画は、結果的に興行面で振るわなかったが、その反面、数多くの賞を受賞している。それは、撮影技術的な面や美術、音楽などの付加的なものへの評価であったにもかかわらず、いかに古典を再現してみせることは非常に丹念な研究と努力が必要であったかを、映画そのものへの賞賛する声は少なくなかった

写実的でシンメトリーな場面は、絵画的で、優雅で、ドキュメンタリー的でもあり、当時を暮す人々の息づかいや匂いまでが画面を通して感じることのできる芸術的な作品といえる。映画として一般的に致命傷扱いされる、非常に長い上映時間についても、いかにして、「ひとりの田舎者がふとしたきっかけで、成り上がり、詐欺行為をして貴族の仲間入りをしたところで、ついには拭いきれない野卑と自己の憐れみによって不遇の身になり、人生を終えたか」という人生を、淡々と描くには短かすぎることはあっても、決して長くは感じさせることはない。それでも、明らかに、キューブリックはこの映画を短縮するために、敢えてボイスオーバーを使用しているが、この効果は、突き放した視点というものを観客に意識させ、ラストの「ここに登場した人々はすべて墓の中」のクレジットを際立たせている。

  この撮影中にアイルランドでのロケでは、IRAから脅迫を受け、一時撮影を中断したり、イギリスでは国宝級の建物や美術品を借りて撮影するため、細心の注意を払う必要があり、ストレスでじん麻疹ができ、この映画では、相当、神経をすり減らしてしまったキューブリックであった。興行的にはワーナーに制作費を回収させることができなかった唯一の作品である。


『シャイニング』1980The Shining

 


 自作で最もコマーシャル(商業的)な作品だと、のちにキューブリックは述べている。それもそのはず、彼は、前作の「バリー・リンドン」で興行的に振るわず、全面的な資金提供をしてくれるワーナーブラザースには、次回作では高収益をもたらせてやる必要があった。彼は、さまざまな小説や文献を読み漁り、いままで挑戦していないホラー映画を創造することに決めた。原作「ザ シャイニング」はホラー小説の第一人者スティーブン・キングだ。この執念深い男は、ことあるごとに「キューブリックの作品はひどすぎる。俺の小説をまったく無視している」とコメントしているが、しまいには自分でTV映画を製作している。そのビデオを鑑賞したが、ホテル自体が生き物のように描いており、超常現象に重きを置いた展開は、いわばオカルト映画に近く、映像や恐怖の点ではまったく比較にならない凡作だった。

  キューブリックは女性脚本家のダイアン・ジョンソンと書いたシナリオは、霊がはびこるホテルにいることによって、ジャック・ニコルソンが狂気に変貌していく恐怖を、実に丹念に描いている。批評家によっては、もうすでにジャック・ニコルソンが狂っているように見えるとの意見もあったが、アル中で、元教師で、息子のダニーを脱臼させたことがある男が、やがて、あちら側のアジテーションによって、無意識のうちに家族を矯正しようという悪夢に取り付かれていく怖さがあった。

  ある批評には、ダニーの持っている超能力(シャイニング)を、ホテルの死霊たちがそれを手に入れようとしてジャックを利用したと書いてあり、こういう解釈もあるのだと感心させられた。とても洗練された映像美学と、独特の冷たい雰囲気がたまらなく魅力的だ。何度観てもその都度、新しい発見があり、キューブリックが描く精神世界の深淵を垣間見ることのできるモダンなホラー映画である。

 

『フルメタル・ジャケット』1987Full Metal Jacket
  前作「シャイニング」から9年も待たされたが、ついに発表したのがベトナム戦争を題材にしたこの作品だった。アメリカがジョン・ウェインを主役とした自国の正義を前面に出した「戦意高揚映画」が主流を占めていた戦争映画というジャンルに、自己批判をしようとし始めたのが1980年代だった。特にペキンパーの「戦争のはらわた」が最初だといわれているが、続々とアメリカの自由というものに疑問を投げかけた作品が数多く登場した。「ディア・ハンター」「ハンバーガー・ヒル」「プラトーン」「カジュアリティーズ」「ランボー」「帰郷」などが挙げられる。しかし、その頂点と言われる「プラトーン」は批評家からは絶賛されたが、本当の戦争の本質を描いたわけではなく、どこかヒューマニズムという調味料がふりかけられていた。キューブリックの「フルメタル・ジャケット」は、戦争を否定や肯定もしていないが、戦争とは人間が殺人マシーンに変えられ、人格あるいは自己というものを徹底的に抹殺されてこそ成り立つという本質を、いかにもクールな目で見据えているところにこそテーマがある。微笑みデブは、殺人マシーンとしていよいよ本稼動するべき矢先に、HAL2000と同じく狂いはじめ、ついには暴発してしまう。戦争という狂気じみた状況下では、機械化した人間は、その目的を正確にやり遂げることのみ存在価値があり、それ以外のことをすれば、規格品から無用とされるのだ。 また、ジョーカーたちが最強の戦闘マシーンとして前線に送られても、たったひとりの女性狙撃兵(人間)にいたぶられるように右往左往し、屈強な男たちが仕留めたのは小柄なベトコンだったと愕然とする、何とも皮肉なシーンがラストを飾る。なお、この映画の音楽は娘のアビゲイル・ミード(ヴィヴィアン・キューブリック)が担当している。

『アイズ ワイド シャット』1999Eyes Wide Shut

テキスト ボックス:  ダゲレオ出版「キューブリック」を読み直すと、キューブリックが「時計じかけのオレンジ」を撮ろうとしている1970年当時に、A・シュニッツラー原作の「トラウマノベル」をもとに「ラプソディー/夢の小説」という企画が確かにあったのを確認できる。たぶん、この作品は念願の映像化だったのではないかと想像できる。 私は前作の「フルメタル・ジャケット」から待ちに待たされ、ついに、7月31日の初日に遺作となったこの映画観てきた。この作品はまさしくキューブリックの傑作であり、また集大成のように感じた。過去の作品群のイメージがあらゆるところで引用され、私たちに最後のメッセージを投げかけているような映画だった。映画の巨匠といわれた人たちは、老いると精神世界に目を向け、パワーの衰えは隠しきれないものだが、キューブリックは若いときから精神世界には着目していたことになり、この映画の映像は本当に70歳とは思えないほどパワフルである。キューブリックはこの作品で燃え尽きたのだろうか?  もちろん賛否両論はキューブリックも承知の上のことであっただろう。しかし、人間の性をこれほどまじめに描いているとは思わなかった。そして、この映画のテーマが、オーストリアの心理学者「ジークムント・フロイト」がその著書「精神分析学入門」で唱えた、人間の<無意識>であると私は思う。

  人間の性への欲望が抑圧されると<無意識>という領域にて達成しようとするのが「夢」であると唱えたフロイトの説を映像にした映画なのである。<意識>では「私は絶対浮気なんかしない」と思っていても、本人が自覚していない能の<無意識>では「めくるめくハーレムのようなセックス」の夢をみるのは、抑圧された欲望の具現化なのだ。つまり、冷ややかな目でキューブリックが好んで描いてきた「抑圧された人間の行動」を、この「アイズ ワイド シャット」でも取り上げているのだ。

さまざまな、社会的抑圧やモラルに囚われた人間はまさに<仮面>を被って生きているが、その仮面の下<無意識>では、その欲望が嵐のように渦巻いていることを映像で我々に見せてくれたのだと感じる。ただ、ほとんどの人は、ビル・ハーフォードのように抑圧された願望を実現できずに生きていて、アリスのように「夢」の中で願望を達成しており、キューブリックは「アイズ ワイド シャット」という遺作をもって、人間のもつ心理の深淵をかいま見せて、これ以上覗いては危険だよと、そっとふたを閉じてくれた(アイズ ワイド  シャット)のではなかろうか。

  もう一方で、この映画の視点は、ビルという一般的な男性を中心として展開されているが、実はアリスという非常に二面性をもった女性からの視点も描かれており、昼は貞淑な妻で夜は娼婦になりえるという女性の欲望の内面をストレートに表現しているところに、キューブリックの意図が見えてくる。  遺作なので、もうこれでキューブリックの新作は永久に鑑賞できないと思うとエンドタイトルのクレジットをみつめながら、僕は感無量だった。そして、映画が終わり、最後のクレジットで「キューブリックありがとう。そして、さようなら」と心の中で別れを言った。   最後に我田引水ではあるけれど、ワンシーンに「黒のVWゴルフ」が映っていたこと、そして、T・クルーズが勤務する病院のオフィスにあったパソコンが「Macパフォーマ」だったことが、まるで僕に「私の映画を心から敬愛してくれてありがとう」とキューブリックが語りかけてきたようだった。

 

 

 


Chapter3

撮影技術

 

遠心分離機

「2001年宇宙の旅」で当時のあらゆる専門家たちを、アドバイザーに迎え「後世、語り種になるようなSF映画をつくりたい」という夢を実現したのが、この映画製作のテーマになっている。特にも、技術的に無重力状態をつくることは困難であったため、わざわざ巨大な遠心分離機のセットを造り、その中で俳優に演じさせた。

 

スリットスキャン

「2001年宇宙の旅」が公開された当時、ある特定の若者には、ラストに近いスターゲートのシーンが「トリップできる映画だ」ともてはやされたことがあった。この撮影はキューブリックとD・トランブルが試行錯誤のうえできあがった映像のマジックである。CGがなかった時代にこれだけの技術とアイデアが生まれたことは、キューブリックとスタッフの努力の結晶である。のちにトランブルは当時を振り返り「まるで撮影所は物理の研究をしているようだった」と。

 

フロント・プロジェクション

プロジェクション方式、いわゆる投影方式のことだが、このフロント方式をキューブリックが発案したものである。説明しやすいのが、「2001年宇宙の旅」の猿人が登場するシーンである。これはすべてセット撮影されているが、背景は実際のアフリカで撮影したフィルムである。主流であったリアプロジェクション方式は、後方から透過スクリーンにフィルムを投影し、そのフィルム

の前で俳優が演じるというのがほとんどだった。しかし、この方式だと背景が薄くなりがちでリアリティに欠けていた。そこで、キューブリックは堂々と正面から投影しようとしたのだ。こちらのほうが、より鮮明に背景が写るので好都合なのだが、ひとつ問題が残る。いわゆる斜めからの撮影だと、演じている俳優の影がスクリーンに映ってしまうことだ。そこで、キューブリックはプロジェクションと俳優が常に真正面に位置させるため、プロジェクション自体から照明ライトを発する機械を生み出し、また反射率の高いスクリーンを同時に開発した。これによって、あの猿人のリアルなシーンが可能となった。あれは、だれでもアフリカで撮影したのだと思っているのではないだろうか?

 

ドルビーシステム

アメリカのドルビー研究所が開発したノイズリダクションシステムを映画ではじめて採用したのがキューブッリックだ。その初めての映画が「時計じかけのオレンジ」でこの映画はすべて同時録音されている。周りのノイズを除去するため専用のマイクとともにこのシステムが活躍した。今はドルビーデジタルやDTSサラウンドが当たり前になっているが、アナログ主流の当時としては画期的な試みであった。しかし、「アイズワイドシャット」までは、ドルビーデジタルにはまったく興味を示さなかった。

 

超高感度レンズ

「ナポレオン」を製作したいという希望は、資金面で頓挫し、代わって歴史ドラマ「バリー・リンドン」を撮影することになった。そこで、18世紀の状況を徹底的なリアリティで描くことに心血を注いだ結果、当時は明かりとしてローソクしかないため、そのほのかな光でも撮影できるレンズをドイツのメーカー「カール・ツァイス社」に依頼して完成したのが、このF0.7レンズである。もともとNASAの宇宙開発(衛星による地球撮影用)のために考案されていたものを、映画カメラのレンズにしたものであるが、カメラ用に改良するのは、そう簡単ではなかったようだ。

 

黒のボカシ

「時計じかけのオレンジ」では、日本公開では検閲のためボカシを入れることを余儀なくされたキューブリックは、自ら黒丸のボカシを入れて編集している。今では日本も柔軟になってきているが、いかに「ボカシ」という行為が滑稽かを、その黒丸の早い移動で示そうとした意図が読み取れる。

 

ステディカム方式

本格的にキューブリックが使用したのが、「シャイニング」からで、油圧を使ってカメラマンが固定したカメラを揺らさずに移動撮影ができる画期的なシステムである。現在はもう主流になっていてめずらしくもないが、「シャイニング」で、三輪車を低い位置で追いかけていくシーンや雪の回廊は恐怖が倍増され、まさに圧巻である。

 

超高感度小型マイク

「時計じかけのオレンジ」では、そのほとんどが野外でのロケ撮影である。その際に俳優のセリフだけを拾う高感度マイクが俳優の襟元に装着された。このマイクは、他のノイズを一切拾わないように改良されていたため、車の騒音などは一切入っていないことにスタッフも驚いたようだ

自然光へのこだわり

キューブリックは撮影する際に、その独特な映像に執着するため、ライティングに非常にこだわることは知られている。特に人工光をきらい、できるだけセット撮影でも自然の明かりを取りいれている。窓の光が白く輝いているシーンがよく見られるが、自然光が入り込まない場合のみ人工光を使用している。たぶん、英国のカメラマン、ジョフリー・アンスワースとの仕事で影響を受けたのではと思われる。アメリカでいう撮影監督はカメラを覗くというより、その仕事のほとんどはライティングカメラマンといったほうが正しい。

モノラルとスクリーンフォーマットへの執着

最新技術には造詣の深いキューブリックが、あえてモノラルにこだわった理由はよくわからない。「フルメタル・ジャケット」まではすべてサウンドはモノラルで通している。最新作「アイズ・ワイド・シャット」では初めて、「ドルビーデジタル」「DTS」のステレオを採用している。またスクリーンサイズは「2001年宇宙の旅」を例外として、すべてヨーロピアンビスタサイズ(ワイドに慣れてしまったせいか、映画館では小さく感じる)で撮っている。理由は本人曰く「映画を観る場合の最良のフォーマットだ」だそうだ。

 

音楽への造詣

キューブリックほど、あらゆる音楽に造詣が深い監督はいない。ほとんどの映画を既成のクラシックや、新鋭音楽家掘り起こし、いわゆる映画音楽家のサウンドトラックを使用していない。ジャズからワルツ、シンセサイザー、ロック、懐かしいポップスや現代音楽などなど、まさに映画のためにつくられたような音楽を発掘して、その効果を倍増させる能力は天才的である。なお、キューブリックは必ず撮影中は、常にその場面にあった音楽をかけていることが多く、その方がイメージが湧くらしい。「メイキング  シャイニング」で検証すると、雪の回廊をダニーが逃げるシーンで、カセットテープで自ら音楽をかけながら撮影している場面が見られる。また古いレコードのノイズが発生していても、そのまま原曲をサウンドトラックとして採用していることも興味深い。

 

 

 


Chapter4 >

Book & Web

 

(参考にした書籍)

 

「KUBRICK」(白夜書房)著ミシェル・シマン/訳 内山一樹
「キューブリック」(ダゲレオ出版)
「スタンリー・キューブリック」(キネマ旬報社)
「キューブッリク・ミステリー」著 浜野保樹
「アイズ・ワイド・オープン」(徳間書店)著フレデリック・ラファエル
「CUT 9月号」(ロッキング・オン社)
「イメージフォーラム 10月号」(ダゲレオ出版)
「ザ・フィルムメーカーズ/スタンリー・キューブリック」(キネマ旬報社)
「キューブリック全書」(フィルムアート社)著デイヴィッド・ヒューズ

映画監督スタンリー キューブリック(晶文社) 著ヴィンセント・ロブロット/訳浜野 保樹、 櫻井 英里子

THE STANLEY KUBRICK ARCHIVES (タシュケン社)

 

(参考にしたサイト)

www:Kubrick Multimedia Film Guide

 


Chapter5

DVD BOX


STANLEY   KUBRICK CORECTION BOX  DVD(ワーナーホームビデオ)

【収録作品】
Disc1
 ロリータ(1961)
Disc2
 2001年宇宙の旅(1968)
Disc3
 時計じかけのオレンジ(1971)
Disc4
 バリー リンドン(1975)
Disc5
 シャイニング特別版 コンチネンタル・バージョン(1980)
Disc6
 フルメタル・ジャケット(1987)
Disc7
 アイズ ワイド シャット特別版(1999)
Disc8
 特典ディスク
(ドキュメンタリー「STANLEY KUBRICK:A LIFE INPICTURES」)


Chapter5

soundtrack record & CD

 

      

 

 

 

Chapter6

Good-bye,・・・at the end

 

 

キューブリックが断念せざるを得なかった「ナポレオン」。この映画が完成していたらどんな作品になっていたであろうか。またHAL2000を生き返らせることにもなるはずだったSF映画「A.I」にいたっては、21世紀には完全に開発されるであろう人工知能を、どのように映像化したのであろうかただ、ただ悔やまれるばかりだ。

  企画としてあった「アーリアン・ペーパーズ」「燃える秘密」「ブルー・フィルム」をどうしてもすべて観てみたかった。なぜ、これだけの企画がありながら、寡作に終始したのかは、本人のみぞ知ることであるが、満足のいく脚本、美術、資金、スタッフ、キャスト、音楽、撮影技術、ロケ地、そして閃きが揃ってこそスタートするキューブリックにとっては、それを願うのは勝手な願望に過ぎないのかもしれない。そして、事実、僕にとって、キューブリック以上の監督が現れるはずもなく、これからの映画を楽しむ行為が、確実に損なわれることは明らかだ。キューブリックにはハリウッドのメジャーからいくつものオファーがあったことがわかった。そして、それらすべてを断わっている。

「ネットワーク」(シドニー・ルメット監督)、「エクソシスト2」(ジョン・ブアマン)、「インタビュー・ウィズ・バンパイア」(ニール・ジョーダン監督)、「2010年」(ピーター・ハイアムズ監督) 最後まで、つくりたいものだけを映画化してきた(スパルタカスを除いて)監督は、たぶんキューブリックだけかもしれない。その一面だけでは恵まれた監督だったと言える。しかし、それはほんの側面であって、興行的に成功しない監督に、資金提供するなどという奇特な映画会社はあるはずもなく、いかに自由と引き換えに失敗を許されずヒットを飛ばしていくか、その脅迫ともいえる状況というのは、並大抵の監督では到底達成できるものではない。キューブリックはよく言われるように「インディーズのメジャー」という名にふさわしいヒットメーカーでもあった。 映画は観客の感性に頼るものであり、まったくキューブリックを受け付けないという人もいて当然である。が、しかし、キューブリックは、多くの監督たちにあらゆる面で影響を及ぼし、そのたゆまざる研究心と好奇心は天才とは努力であるといわれるゆえんでもある。作家性、独創性、映像美、どれをとっても20世紀最後の芸術家として最もふさわしい人物だった。映画は総合芸術であると言われるが、まぎれもなくキューブリックは孤高の芸術家であった。

彼は、いま、イギリスのハートフォードにある自宅の庭に、動物たちと静かに眠っている。 読書に没頭し、先端技術を探し、コンピューターを好み、中華料理が好きで、家族を愛し、動物を愛し、歴史に精通し、軍隊組織に詳しく、政治にも興味があり、アメリカンフットボールを愛し、映画を愛し、そして、ほとんど眠らない人であった。その分のつけをとりかえしているかのように・・・・・・・・。

     

最後にキューブリックが残したことばで括ることとする。

「人間はいかに邪悪か。それが興味の湧くところだ」

 

キューブリックが座右の銘としていたA・ビアズ著「悪魔の辞書」一文

名声=意味:忘却の掃きだめ

 

 

 

 

 

 

 

 

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